・初代上原武七は、紺屋の三男坊として生まれる。腕っぷし強く、
十代の頃より角田、弥彦山麓の酒造場で蔵人として働き、明治23年、
峰岡村竹の町に酒造場を開設する。二代目若冶の弟、廉平(れんぺい)は
兄を助け、帳場から蔵まで細やかに仕事を仕切る。
その酒造日誌は「廉平の記」としてまとまっており、明治期の新潟の酒蔵誌資料
として貴重かつ興味深いものである。三代武司の後、四代上原誠(明治45年生)は、
初代に劣らず酒造りに熱心で、国税庁の滝の川醸造試験所に
所長山田正一博士を訪ね、親しく御教授を受ける。
殊に山田博士の専門分野である酵母菌に興味を持ち、幅広く使用酵母を使い分けた。
また、杜氏高浜音吉と寝食を共にし、ろ過機の考案開発、麹室の改良等、
アイディアマンであると同時に、麹室に入りっきりの職人肌でもあった。
四代目誠と40年以上のパートナーである高浜杜氏は、越後杜氏の発祥の地、
野積出身である。高浜杜氏時代の清酒は、酒造杜氏組合連合会においては
昭和27年より昭和37年まで連続10回受賞、そして連続受賞を記念し特選名誉賞
受賞する。またその温厚な性格と豊富な経験を慕い、教えを乞う若者が
後を絶たなかった名杜氏でもあった。(なお高浜氏の御子息春男氏は、
20歳代で八海醸造鰍ノ入り、現在同社の杜氏の責にある)高浜杜氏の後、
同じ野積杜氏の力石重忠が杜氏を継いだが、現在は高橋、藤田の若い両杜氏体制で、
酒造りが続けられている。なお、藤田は若干26歳、県内最年少杜氏である。
平成2年2月17日上原誠永眠により、現在は誠の長男誠一郎が五代目を継承している。
☆全国地ビール製造承認第一号・エチゴビール、近くの新築レストランの古い蔵元です。
主な銘柄は鶴亀です。
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